述べずともサーフィンの起源がハワイにあることは、世界中のサーファーが知る所である。プロアマを問わず世界のトップサーファー達は、競技での勝利や遊びでのトリッキーさだけで高いレベルに位置している訳で無く、彼らの多くは人間的にもまた地域社会に対しても有識者であり、リーダーシップを発揮している。そういう意味からサーフィンの歴史を知る事で、よりサーフィンに対しての造詣を深めライススタイルを始め人格形成をより高める事を目的とするものです。


◆王族や貴族の楽しみ…それがサーフィン

年間を通して波に恵まれている大平洋の真っただ中に位置するハワイが、太古から海と密接に結びつき、やがてサーフィンを完成させたのは納得の行くところである。
ハワイの古い文献では、その昔波乗りと呼ばれ3〜4000年前に、タヒチで発生し周辺のポリネシアで盛んに行われたとある。それから1300年ほど前に、いづれかのポリネシアン達によっ4800km離れたハワイにもたらされました。後の500年間、ハワイは外国からの影響や支配を受けず、温和な天候と恵まれた海の幸によって島民はゆとりある暮らしをし、様々な遊びに興じる事となる。
”ウク・パウ”はハワイアンがしばしば使う言葉で「するべきことはしたし、なんか他の事でもしようか?」と言うような意味らしく、カケッコ、ボクシング、玉転がし、海ではダイビングや競泳、カヌーレースが行われた。しかし、その中でサーフィンは”ロイヤルスポーツ”と言われ一般人が気軽にできるものではなかった。1kmほども移動できる大きな板(アライヤ:2.4〜404m、オロ:5m前後)を操るのは首長や貴族にしか許されていなかったからだ。一般人は1m程のコアと言われる木片で、波打ち際でボディサーフィンをする程度だった。大会では日頃大きなボードに乗る王や貴族が優勝するのは当然で、サーフィンは平民に対する権威や威嚇の役割も果たしていたと考えられる。
1778年英国の探検家キャプテン・J・クックがリゾリューション号でハワイに訪れた時、この奇妙な波乗りに感嘆している事が彼の日記に綴られている。


◆開かれたサーフィンの暗黒時代

1810年ハワイ島のアリイであるカメハメハ1世が、ハワイ諸島全土を統治した際に”ママラホエ・カナワイ(割られた櫂の法律)”として貴族の権限の多くを廃し、平民の地位向上への改善をする。それによりサーフィンも平民に解放され、島民の誰もが楽しむレジャースポーツとして発展していく。
ところが1820年、ニューイングランドからの宣教師の影響で多くの島の古い習慣が改められた。クック来訪時には30万人だった人口が、白人が持ち込んだ病原菌のせいで数年で4万人まで減少していたからだ。また、外国との交易で島民の生活様式も大きく変化していた。サーフィンもその例外ではなく、19世紀末にはワイキキでしかサーフィンを見かけなくなっていた。
近代、島の観光開発を手掛けた商人がアトラクションとして、サーフィンを奨励し普及させ暗黒時代からの幕開けを迎える。その時期に活躍したのが、ジョージ・フリースや神様デューク・カハナモクである。カハナモクの神様たる所以は、1912年ストックホルムオリンピック、100m自由形競泳のゴールドメダリストだった彼は、カルフォルニアにてサーフボードで人名救助をしたり、CMに登場したりとスポーツとしての認知や普及に努めた。
1915年にはオーストラリアのシドニーにて自作のサーフボードで波に乗り、今ではフレシュウォーター博物館にその時のボードが展示されている。彼の功績を持って「神」と呼ばれ、サーフィンの父として誰もが認めるレジェンドサーファーとなる。


(取材協力:ゴッデスインターナショナル代表 鈴木 正氏、著書:講談社出版『サーフィン』より)
 
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